「下剋上球児」で新たな試みも
“ドラマのTBS”を支える監督

映画をつくることは
“確かに残る何か”をつくること
学生の頃より、根拠のない自信から様々なことにトライしてきましたが、これなら勝てるというものに巡り合いませんでした。ただ様々な仕事(趣味?)を深掘りしてきたおかげで、映画プロデューサーという守備範囲の広い仕事には非常に役立ったと思います。
常に求めてきたのは人生を通して取り組める仕事だったので、能力はさておき、自分が夢中になれるものでなくてはなりませんでした。
自分が死んだ後も“確かに残る何か“を作りたいという思いからも、映画は後悔のない選択だったと思います。
私の場合、基本的に自分で企画を立ち上げ、プロデュースする事が多いので、企画から公開まで2〜3年かかることが多いです。振り返ってみても、傑作だと思える作品が必ずヒットするかと言えばそうではありませんし、あまり自信がなかったものが大ヒットすることもあります。恐らくその時々の時代感と、作品とのマッチングが成否を分けるのではないかと思います。だからプロデューサーは風を読む能力も備えていなくてはならないと思います。監督もやりましたが、準備、撮影、ポスプロに深くタッチするプロデューススタイルをとっていた為か、あまり困ったことはありませんでした。ただ「感染列島」で原作を書いたり、「糸」で原案を考えたりする時は、全く違う作家としての向き合い方をしました。
映画「ラーゲリより愛を込めて」で藤本賞奨励賞を受賞
私の若い頃は徒弟制度バリバリの時代で、かなり尖っていた私にはプロデューサーになるチャンスなど全くありませんでした。ただ先輩が一人しかいない映画セクションに異動になり、なんとかチャンスを掴み、いくつか成功をおさめ、今後のプロデューサー人生を決定づけるであろう作品に挑みました。それが「黄泉がえり」(2003年)です。ただ公開当初、成績は芳しくなく、絶望の淵に落ちました。ところが2週目、3週目と口コミで動員が伸び、 最終的に興行収入31億円の大ヒットとなりました。その後スピルバーグのドリームワークスからリメイクのオファーを頂いた時には震えました。
今後は80歳になっても頑張っているジェリー・ブラッカイマーの背中を遠くから見ていきます。
若い人には働きやすいのでは。長期にわたる上下関係もないように見えます。
私に一人の部下もいないのが物語っています(笑)。