「下剋上球児」で新たな試みも
“ドラマのTBS”を支える監督
最前線の現場から
誰かの“命や生活”を守る情報を届ける
最初は何となく「色々なことが出来ればいいな」くらいの気持ちでテレビ業界を選びました。恥ずかしながら学生時代には、テレビの現場で働くために何か準備をしたり、勉強したことはありませんでした。
最初に配属された情報番組で、ニュースにエンタメ、スポーツに音楽などいろんな分野に触れるにつれて、世の中で起きている事件や事故、災害を前にした人々の無力さとともに「所詮は他人事」という世間の無関心の面も痛感しました。
「知っている」ことで命や生活を守れるかもしれない。自分がテレビや様々なコンテンツを通して伝えた内容が、結果としてどこかの誰かを守ることになれればと思い、記者になることを目指しました。
普段はTBS放送センターがある赤坂ではなく、主に市ヶ谷の防衛省内で勤務しています。戦後最も厳しいとされる日本の安全保障環境で、政府・自衛隊はどのように国と国民を守るのかー。それと同時に、国を守る自衛隊員やその家族のことをどのように守っていくのかー。果たしてこの予算の使い方は適切なのかー。取材テーマは多岐にわたります。
私が書いた記事が、身近な家族や、どこかの誰かにとって、「命や生活を守るため」の一助になるべく、必要な情報を必要な時に届けることを常に心掛けています。
また、可能な限り隊員たちのひとりひとりの思いを取材し、“国を守るために命をかける”人たちの根底には、どんな思いがあるのかー。これからも迫っていきたいと思います。

新型コロナウイルスをめぐる混乱の中、国が示した「検査基準」によって病院で診察を受けることができなかった患者を取材させていただいた際、数日後に亡くなるという出来事がありました。ご遺族から無念な想いを綴った手記と、日に日に悪化する患者の容態を鮮明に記した日記をお預かりし、番組で取り上げさせていただきました。この放送はその日の国会のやりとりでも取り上げられ、政府はその後、検査基準の表記を取りやめました。
また相次いだ広域強盗事件の取材では、主犯グループが拘束されているフィリピンに即日取材に入りました。東京からはもちろん、世界各国のJNN支局の記者とチームを組み、2週間に渡ってほぼ毎日、取材・中継をしたことが思い出深いです。世界が注目する出来事をTBSの代表として取材に参加できたことは、大きな自信にもなり、改めて強い責任感を感じるきっかけになりました。
TBSスパークルには、多岐に渡るジャンルに挑戦し続けることができる環境が整っていると思います。報道記者をしながらバラエティのスタッフと共に企画書を作り上げることもあり、多くのクリエイターたちの知見や視点に間近で触れることができます。
時にはスパークルのドラマチームとともに、自分の取材した内容が原案の再現ドラマを撮ったり、時には映画監督としてドキュメンタリー映画を制作したりもしました。日々の学びと新たな体験にあふれている環境なのは間違いありません。